アメリカン・ルーツ・ミュージック再訪

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 南北戦争当時の歌について調べたりしていると、ふと思い返すできごとがある。あれはNHKテレビの海外ドキュメンタリーだったと思う。独立記念日か何かを祝うアメリカのフェスティバルの映像に、ブラスバンドらしき音が入っていた。それを聴いた父親が「やけに日本的じゃないか……」とつぶやいたのだ。やや、いぶかしげな口調だった。

 実際に流れていたのは「リパブリック賛歌(The Battle Hymn Of The Republic)」だった。もちろん南北戦争当時から歌われていたアメリカを代表する曲の1つだ。「オタマジャクシはカエルの子~」などの替え歌がよく知られていたため、父親は日本の歌だと思い込んでいたのだと思う。そんな卑近な歌がアメリカの祭りで演奏されていたことを奇異に感じたのだろう。私はもう高校生か大学生にはなっていたはずだが(「リパブリック賛歌」を知っていたくらいだから)、父親の思い違いを訂正する気にもならず無言でいた。いろいろとめんどうくさくなりそうな予感もしたので……^^;

 この歌に限らず、日本に入ってきた南北戦争絡みの歌は少なくない。その多くは、原曲とは関わりのない日本語の歌詞が付けられて広まっていった。「リパブリック賛歌」については別の形でまた取り上げるとして、ここでご紹介したいのは「Marching Through Georgia」という歌だ。
CivilWar
 南北戦争の歌を集めたコンピレーション『SONGS OF THE CIVIL WAR』(Columbia 1991)では、ジェイ・アンガー&モーリー・メイソン・ウィズ・フィドル・フィーバー名義の演奏が収録されている。もともとはPBS(パブリック・ブロードキャスティング・サービス)のテレビ・ドキュメンタリー・シリーズ『CIVIL WAR』の一環として制作された音源のようで、別途発売されたビデオ版にはジェイ・アンガーのトークも入っている。まずはそちらを見ていただくとしよう。


Songs of the Civil War [VHS]
Songs of the Civil War
Sony
1991-08-13

 ジェイ・アンガーも語っているように、この歌は1860年代(より正確には戦争終結の年の1865年)にヘンリー・クレイ・ワークによって書かれた。この年に出版されたシート・ミュージック(楽譜)の表紙がこちら↓。ウィリアム・シャーマン少将率いる北軍が、アトランタから海岸へ向けて行進する様を描いた歌のようだ。
MachingThroughGeorgia
 シャーマン少将の事績はともかく、私にとってはメロディが懐かしい。父親のセリフを借りれば「やけに日本的」な旋律である。ご存知の方も多いかとは思うが、「ラメチャンたらギッチョンチョンでパイノパイノパイ~」の「東京節」だ。

 「東京節」は、添田唖蝉坊の息子の演歌師、添田さつきの作。「Marching Through Georgia」のメロディを借りて、そこに東京の名所を歌い込んだ日本語の歌詞を当てている。ちなみにこの歌が日本に入ってきたのは、添田さつき以前の1880年代だそうで、最初は救世軍によって歌われていたという。


 添田さつきの音源は見つからなかったので、代わりにこちらのバージョンを。歌手のクレジットは入っていないけれど、おそらくエノケンこと榎本健一だろう。興味深いのは、大正演歌的な風刺が効いた「東京の名物満員電車……」のくだりが省かれ、よりご当地ソング風になっているところだ。一部の歌詞が省かれたり、新しい歌詞が追加されたりというのは、洋の東西を問わず見られる現象のようである。


タルホロジー
あがた森魚
インディペンデントレーベル
2007-09-20

 このほかにもカバー・バージョンは多数存在するのだが、個人的には、あがた森魚さんのカバーがお気に入り。ハリー&マック(細野晴臣&久保田麻琴)、鈴木慶一、東京ローカル・ホンクといったバック陣も強力だ。


万年床
なぎら健壱
ビクターエンタテインメント
1992-09-23

 忘れちゃいけない、なぎら健壱さんもソロ・アルバムでこの歌をカバーしている。ここでは「最後の演歌師」桜井敏雄さんと共演している映像を。


添田唖蝉坊・知道を演歌する/第二集
土取利行
立光学舎
2015-03-08

 ところで作者の添田さつきは、このメロディをほかの歌にも流用している。気に入ったメロディは徹底的に使いまわすのも、フォーク・ソングの作法と言えるだろう。土取利行さんのカバーで「平和節」。こちらは、より大正演歌っぽい風刺の効いた歌詞になっている。ちなみにアルバム・タイトルの「知道」は、さつきの本名だ。


石
高田 渡
キングレコード
2017-09-20

 高田渡さんは、さすがに一筋縄ではいかない。「東京節」や「平和節」の歌詞を1つにまとめて「当世平和節」として、これに「Marching Through Georgia」とはまったく異なるメロディを付けている。ブルーグラス風の曲調で、私は元ネタに気づかなかったのだが、なぎらさんの著書『高田渡に会いに行く』(駒草出版)に「Banks Of The Ohio」が元ネタと書いてあったのを読んで、ハタと膝を打った。なるほど、たしかに! ここにマーダー・バラッドを持ってくるか~。
高田渡に会いに行く
なぎら 健壱
駒草出版
2021-01-18


 さて、いつの間にやらジョージアからずいぶん遠く離れてしまったようだ。もう一度、東京からジョージアまで戻ろう。


American Anthems
eOne Music International Classics
2002-08-27


 「Marching Through Georgia」は、ブラスバンドのレパートリーとしてもよく知られている。ヘンリー・ランバートの指揮によるグラマシー・ブラスの演奏を聴いてみよう。このようにアレンジされると、勇壮なマーチであることがわかるというものだ。それでもついつい日本語の歌詞が浮かんできたりはしてしまうのだけれど……。

 北軍を称える内容の歌だけに南部人には複雑な思いもあったはずだが、1960年代にカントリー歌手のテネシー・アーニー・フォードがこの歌を歌った例もある。それにしても、ブルーグラス風のインストで始まり、いきなりブラスバンドに変わるこのアレンジは、なかなか強烈だ。


 宣伝ですみません。

 『アコースティック・ギター・マガジン Vol.87』(リットー・ミュージック)は、日本のフォーク大特集号です。
AGM87

 このブログとは関係ないと思われるかもしれませんが、日本のフォークがアメリカン・フォークの影響下に生まれたことは紛れもない事実ですし、そのあたりを考察した小川真一さんの記事も掲載されています。

 私は麻田浩さんのインタビューと、60年代~70年代のフォーク年表を書かせていただきました。よろしければこちらの日記もご覧くださいませ。

<おまけ>

 ジョセフ・スペンスの「Great Dream From Heaven」が原曲と思われる、高田渡さんの「酒」。完全に自分の歌として昇華しているところが素敵。

 アラン・ロマックスは「Po Lazarus」を「自分たちが録音した中でいちばんすばらしいアフロ・アメリカンのバラッド」とみなしていたようだ。残念なことに、日本ではこの歌も、ラザルスという犯罪者のことも、ほとんど知られていないような気がするけれど。

 日本で有名な黒人の無法者のバラッドと言えば、おそらく「Railroad Bill」が筆頭だろう。直訳すれば「鉄道ビル」。タイトルからもわかるとおり、列車強盗犯の歌だ。日本人も含めて、数多くの歌手が取り上げていることでもあり、メロディをご存知だという方も多いと思う。メロディラインは、どのバージョンもほぼ同じ。伴奏スタイルも、基本的にギターのスリーフィンガー・ピッキングでほとんど変わらないのに対し、歌詞のバリエーションはおそろしく多い。

 とりあえず、アラン・ロマックスが1959年にアラバマ州でフィールド録音した、ホバート・スミスのバージョンを聴いていただこう。


 レイルロード・ビルは、ジェシー・ジェイムズの黒人版とも言えそうな伝説的な無法者だ。アラン・ロマックスによれば、恐ろしい人殺しでありながら、ロビンフッドのような義賊として大衆の支持を集めてもいた。犯罪者になる以前は、アラバマのテレピン油キャンプで強制労働をさせられていたともいう。

 ロマックスは、レイルロード・ビルを(そしてラザルスも)白人の支配層による搾取の犠牲者として捉えていたふしがある。この見方に異を唱えるつもりはないけれど、レイルロード・ビルの伝承をたどると、どちらかといえばそちらよりも超人的なダークヒーローのイメージのほうが勝っている気がする。とにかく伝説上の人物だけあって、どこまで本当かよくわからないような面白いエピソードには事欠かない。

 まずレイルロード・ビルの本名は、モリス・スレーター。名前以外の生い立ちはほとんど伝わっていない。若い頃には巡回サーカスのパフォーマーをしていたという話まである。そのあとはテレピン油の会社で働きだす。最初はサウスキャロライナ、それからアラバマ、フロリダと勤務地を変えた。これが強制労働を強いられた結果だったかどうかは、正直よくわからない。

 スレーターが鉄道をターゲットにするきっかけとなった事件は、アラバマにいた頃に起きた。無賃乗車を見つかって、走っている列車から放り出されたのだという(!)。これが1895年の3月のこと。この仕打ちに怒ったスレーターは、列車を運行していた鉄道会社、ルイビル&ナッシュビル・レイルロードに恨みを抱き、列車の乗務員をライフルで撃って負傷させたり、駅から追い出したりしはじめた。……困った人だな~。走っている列車から放り投げるほうもよくないけれど、だからといって銃をぶっぱなして復讐しちゃいかんだろ。

 こうしてスレーターは鉄道会社が懸賞金をかけるお尋ね者となった。そのとき手配書に書かれた名前が「レイルロード・ビル」。正体がわかっていなかったもので、似たような犯罪行為を犯していた別人と混同され、そちらの名前で告知されたのだそうだ。結果的にはこのニックネームがそのまま定着し、本家レイルロード・ビルよりも有名になってしまったと。

 こうなってはもういけない。捕り方の保安官と銃撃戦をしたり、ギャング団を結成して列車強盗をしたりと、悪の道をひた走ることとなる。1895年4月6日には、アラバマ州ベイ・ミネットでジェームズ・スチュアートという副保安官を射殺。その後も殺人を繰り返し、アラバマ州マーダー・クリーク(ヤバそうな名前だね!)では、100人近くの追跡隊による5日間の捜索から逃げ切るという離れ業も演じたという。

 こうして追跡を逃れること17回。強くて悪いフォーク・ヒーローとして生きた伝説となり、1985年のうちにその悪行を語ったバラッドも作られた。あ、なるほど! 捕まったり殺されたりした後に作られた歌じゃなくて、現役時代にもう歌われていたわけね。

 とはいえ、悪運もここまで。1896年3月7日にアラバマ州アトモアの雑貨店で待ち伏せされて、あえなく射殺されてしまう。

 あらためてふり返ってみると、無賃乗車で列車から放り出されたのが1895年の3月。それから復讐を始め、17回の脱出劇もあって、翌96年3月には射殺されているわけで、たかだか1年あまりの間にこれだけの事件を起こしたとは、にわかには信じがたい。かなり盛ってある可能性もあるのではないか?

 --というところで、今度は「Railroad Bill」の歌詞のほうを見ていこう。ホバート・スミスの歌詞は以下のようなものだ。

Railroad Bill, no mean and no bad
He whupped shot his mammy, shot a round at his dad
One mornin' just before day

Railroad Bill, He 's standing on the hill
A-rolling cigars out of a ten dallar bill
Oh ride, ride, ride

Early one mornin' a shower of rain
Around the curve come a time train
Oh ride, ride, ride

If the bum's going to bend the rail
There 'll be nobody there to tell the tale
Oh ride, ride, ride

Railroad Bill, He 's standing on the hill
He never worked, and he never will
And it's ride, ride, ride

レイルロード・ビルは恐ろしくもなければワルでもない
母ちゃんにムチをふるい、父ちゃんに一発ぶちかました
夜が明ける前のある朝に

レイルロード・ビルは丘の上に立ち
10ドル紙幣で葉巻を巻く
それ 乗りこめ、乗りこめ、乗りこめ

朝早くに通り雨
カーブを曲がって列車がやってくる
それ 乗りこめ、乗りこめ、乗りこめ

ろくでなしがレールの曲がり角にやってくれば
タレこむ者は誰もいなくなる
それ 乗りこめ、乗りこめ、乗りこめ

レイルロード・ビルは丘の上に立っている
一度も働いたことがなく これからもそうだろう
さあ 乗りこめ、乗りこめ、乗りこめ

 「レイルロード・ビルは怖くないよ、悪人じゃないよ」と言ったあとに「自分の母親をムチでしばいて父親を拳銃で撃った」とつなげるのは、アメリカン・ジョークなんだろうな。いきなりロクでもないキャラ全開だ。前述したように、実際のレイルロード・ビルの家族については何もわかっていないようなので、このあたりはいいかげんな創作ということになる。

 次のスタンザの「10ドル紙幣で葉巻を巻いた」も、羽振りのよさを表わすおおげさな言い回し。バージョンによっては「10ドル札で葉巻に火をつけた」となっているものもある。

 そのあとは本題の列車強盗の話。最後に「レイルロード・ビルは一度も働いたことがない」と堅気でなかったことが強調される。実際にはテレピン油の会社で働いた経験もあるわけで、このあたりも創作。結局、ほとんどホラ話でできているような歌と言っていい。

 ホバート・スミス以外のバージョンを聴くと、「レイルロード・ビルは無敵の恐ろしい男/制動手の手提げランプを撃ち落とした」や「買っておくれよ おいらの腕くらいの長さの拳銃を/そいつでジャマするヤツらを撃つんだ」など、史実に沿ってリアルにレイルロード・ビルの凶悪さを歌っているものもある。

 史実どおりといえば、「曲がり角を回って貨物列車がやってくる/レイルロード・ビルはもうじき帰宅/月明かりの下でマクミランを殺した」などというバージョンもあって、これは1895年7月3日にフロリダ州ブラフ・スプリングスで、自分を捕らえに来た保安官のマクミランを逆に捕まえて殺害したという事実に基づいている。おそらくそうとうセンセーショナルなできごとだったはずで、もしかしたらこの事件がきっかけで「Railroad Bill」のバラッドが作られたのかもしれない。

 「Railroad Bill」は、ランブリン・ジャック・エリオット、ボブ・ディランほか多数の録音が残っているけれど、どれも同じような演奏で、正直それほど代わり映えはしない。

 ちょっと毛色が変わったところで、リビングストン・テイラーのコミカルなパフォーマンスはいかがだろうか?(はっきり言って全然別の歌だけれど^^;)


 お次はクルックド・スティルによるブルーグラス・アレンジ。

Shaken By a Low Sound
Crooked Still
Signature Sounds
2006-08-22


 そしてスキッフルのロニー・ドネガン。


 もう1つ、エッタ・ベイカーのインスト・バージョンも。ピードモント・ブルースのフィンガーピッキングのパターンは、白人系のピッキング・パターンと基本的に変わらない。おそらくルーツは同じなのだろう。



 日本では、なぎらけんいちさんが、そのものズバリ「鉄道ビル」という日本語バージョンを、「金がない」という歌とメドレー(?)でやっていたことがある。高田渡さんの「ぼーる」も、おそらく原曲は「Railroad Bill」だろう。

 刊行が遅れていた『URCレコード読本』(シンコーミュージック)がいよいよ発売となった。日本のフォーク/ロック・レーベルの本ではあるけれど、URC関連のミュージシャンはアメリカン・ルーツ・ミュージックからの影響を受けている人も多いので、そのあたりの話を少し。
URCbook
URCレコード読本
シンコーミュージック
2020-07-31

 このムック自体について興味のある方は、こちらをご覧ください。

 ルーツ・ミュージックの世界では、古い歌の歌詞を替えて新しい歌を作る行為は、ごく当たり前のように行なわれていた。著作権の意識が高まった現在では考えられないほどに。

 日本のフォーク・ミュージシャンもこの伝統にのっとって(?)、アメリカの古い歌に日本語の歌詞を載せたりしている。よく知られている例が高田渡だろう。


 たとえば「しらみの旅」の元ネタは「Wabash Cannonball」だと思われる。

 原曲はカーター・ファミリーのほか、ロイ・エイカフやジョニー・キャッシュなど、さまざまな歌手が歌っているが、実はカーター・ファミリーがオリジナルというわけでもないようで、とりあえず19世紀後半まではさかのぼれるようだ。


 また、チャック・ベリーもこのメロディを拝借して「Promised Land」というロックンロール・ナンバーを書いている。


 高田渡「しらみの旅」のバッキングは、はっぴいえんどが担当しているのだけれど、そのアレンジはチャック・ベリー版を参考にした可能性があるのではないか。ベルウッドの伝説的プロデューサー、三浦光紀さんによれば、この頃はっぴいえんどの大瀧詠一さんは「ワタルはロックですよ」と語っていたそうだ。もしかしたらチャック・ベリーのこの曲を踏まえての評価だったのかもしれない。

 最後に、もう1曲。高田渡さんもカバーしていた朝比奈逸人さんの「トンネルの唄」を、オールスター・キャストで。ここにもアメリカの伝統音楽の強い影響が感じられる。上記のムックのために取材をさせていただいた、やぎたこのお二人(やなぎさんと辻井貴子さん)もオートハープにバンジョーにと大活躍されている。

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