ゴスペルは白人起源の音楽であったという話をすると、けげんな顔をされることが多い気がする。それだけゴスペルと言えば黒人--というイメージが定着しているということだろう。
アフリカから連れてこられた黒人奴隷たちがキリスト教に改宗する以前から、キリスト教の宗教歌は存在していたわけで、白人起源であることは当然と言えば当然なのだが、「ゴスペル」という名称にこだわっても、スコッツ・アイリッシュの血を引くアイラ・D・サンキーが、最初の『ゴスペル讃美歌集』を出版したのが1875年。これに対して、ブラック・ゴスペルの父と呼ばれるトーマス・A・ドーシーが「世俗の音楽」から足を洗ってゴスペルに専念するようになったのが1930年代だから、この間にはそれなりのタイム・ラグがある。
ドーシー以前からゴスペル市場は確実に存在し、専門の作詞家/作曲家が大量の歌を生産するティン・パン・アレー的なシステムもすでに確立していたはずだ。そのシステムに加わることになった黒人初の作曲家がドーシーだったと言ってもいい。30年代のドーシーやゴールデン・ゲート・カルテット、40年代のマヘリア・ジャクソンらの活躍のおかげで、ゴスペルと言えば黒人というイメージが定着していくことになる。
ドーシー以前からゴスペル市場は確実に存在し、専門の作詞家/作曲家が大量の歌を生産するティン・パン・アレー的なシステムもすでに確立していたはずだ。そのシステムに加わることになった黒人初の作曲家がドーシーだったと言ってもいい。30年代のドーシーやゴールデン・ゲート・カルテット、40年代のマヘリア・ジャクソンらの活躍のおかげで、ゴスペルと言えば黒人というイメージが定着していくことになる。
トーマス・A・ドーシーは1899年7月1日にジョージア州の小さな村、ビラ・リーカで生まれた。父親は巡回牧師をしていたという。その後一家はアトランタに引っ越す。アトランタで劇場のポップコーン売りのバイトを始めたドーシー少年は、そこで初めてブルース・ピアノの演奏を聴いた。これにすっかり魅せられた少年は、ピアノのレッスンを受け、じきに自らのピアノ演奏で稼ぐようになった。
のちにゴスペルへと転向することになるドーシーだが、「世俗の音楽」とはよく言ったもので、若い頃は売春宿や禁酒法時代のハウス・パーティなど、ゴスペルの対極にあるようないかがわしい場での仕事もたくさんこなしていたようだ。当時はジョージア・トムをはじめとする、いくつかの変名を使い分けていたという。
きわめつけは、シカゴでコンビを組んだタンパ・レッドの歌詞に曲をつけた「It's Tight Like That」という歌だ。タンパ・レッド&ジョージア・トム名義で1928年に発表したこのレコードは、驚異の700万枚ヒット(!)を記録したという。ドーシーに支払われた初回分の印税は、2400ドル19セントだったそうな(当時の物価指数は現在の15分の1程度)。
それはいいとして、問題はこの歌の歌詞だ。スラングやダブル・ミーニングも多いようで、正直、私の英語力ではほとんど歯が立たないのだけれど、かなりきわどい文句が並んでいることくらいはわかる。試みに冒頭の部分を少しだけご紹介しよう。
Listen here, folks, I'm gonna sing a little song
Don't get mad, I don't mean no harm
You know, it's tight like that
Aw, it's tight like that
You hear me talkin' to you
I mean, it's tight like that
みんな聴いとくれ ちょっとした歌を歌うぜ
怒っちゃいけねえよ 害がないとは言ってない
そうさ そんな風にイカしてる
あぁ そんな風にイカしてる
オイラの言うとおりにしなよ
わかるだろ そんな風にイカしてるんだ
コーラスパートには「フィドロンボン」と聞こえるフレーズもあるが、おそらく「ドゥビドゥバ」のような意味のないスキャットだろうということで省略させていただいた(参考にしたネットの歌詞サイトでも無視してあった)。
コーラスパートで繰り返される「it's tight like that」は、とりあえず「そんな風にイカしてる」と訳してみたけれど、これもおそらくダブル・ミーニングで、よりストレートに訳せば「アソコのようによく締る」それとも「アソコのように固い」か……?
そのあとも、「若い雄鶏がいた/茶色の若い雌鶏と出会った/納屋で会う約束をした/10時半頃に(以下リフレイン)」やら「ママは若い犬を飼ってた/名前はボール/もしも一口味見をさせたら/ヤツは全部欲しがるぜ(以下リフレイン)」やら「オイラは短パンを履く/膝の上までの/オイラのジェリーを見せびらかすんだ/オイラを喜ばせてくれるヤツといっしょに(以下リフレイン)」やらと、セクシーなほのめかしがてんこ盛り。
とにかく、これから何年も経たないうちに「ゴスペルの父」になっちゃう人が、こんな猥雑な歌を作って大儲けしてたわけですよ! おそらく心境の変化というような話ではなくて、ドーシーの中ではどちらの要素も複雑に入り混じって同時に存在していたのではないかと思うのだけれど。
パフォーマンス自体はロックンロールの先駆に当たるような名唱名演で、タンパ・レッドのごきげんなスライド・ギターも聴けて、すばらしいとはいえ、これが大ヒットしちゃう世の中というのもなんだか……。
一方、こちらはゴスペル転向後の代表曲、「Take My Hand, Precious Lord」。荘厳なよい歌だとは思うけれど、「It's Tight Like That」とどちらが面白いかというと、個人的には圧倒的にゴスペル以前のほうだな。不信心ですみません。