アメリカン・ルーツ・ミュージック再訪

カテゴリ:楽器 > フィドル

 全米各地のさまざまな楽器コンテストで、タイトルを根こそぎさらっていく恐るべき少年がいる--そんな噂が海の向こうから聞こえてきたのは、1977年のことだった。まだ幼いのに、ギターもフィドルもマンドリンも人並み外れた腕前だという。マーティ・スチュアート、クリス・シーリー、サラ・ワトキンス、シエラ・ハル……など、天才少年、天才少女を数多く輩出してきたブルーグラス界とはいえ、この人から受けたインパクトは別格だった気がする。

 マーク・オコーナー。1961年8月5日、ワシントン州シアトル郊外の生まれ。伝統音楽とは疎遠なウェストコーストの都会っ子だった。かなりしつけの厳しい家庭だったらしく、家ではコーヒーを飲んでもいけなかったようだ。まだ10代のうちに来日もしているが、そのときに初めてコーヒーの味を覚えて病みつきとなり、日本では一日中アイスコーヒーを飲んでいたという。

 両親はクラシック・ファンだったのか、幼い頃はバッハやベートーベンなどのフツーの音楽を聴いていた。最初に学んだ楽器もクラシック・ギターだった。7歳の頃から始めてめきめき上達し、先生も次々と変えて、フラメンコやフォークにも手を伸ばした。

 初めてルーツ・ミュージックにふれたのは8歳の頃。テレビのジョニー・キャッシュ・ショーを見て、ホストのジョニー・キャッシュのファンになり、ダグ・カーショーの弾くケイジャン・フィドルにも興味を持つようになった。自分でも弾いてみたいと思ったマーク少年は、「フィドルを買って」と両親にせがむが、答えは「ノー」。むしろギターに専念するようにと説諭されたそうな。

 熱意が認められてやっとフィドルを買ってもらえたのは、1972年の10月。すでに11歳になっていた。最初についた先生は、ありがたいことにクラシックのバイオリニストではなく、バーバラ・ラムというフレンチ・カナディアンやブルーグラスを弾くフィドラーだった。翌1973年には、早くもアイダホ州ワイザーのナショナル・オールドタイム・フィドラーズ・コンテストにエントリー。フィドルを始めて8ヵ月でジュニア部門の2位に選ばれた。これを皮切りにいろいろなコンテストに出場し、次々とタイトルを獲得していくことになる。

 当時の主な受賞歴を以下にご紹介する。

<1973年>
ワシントン州ウッデンビル・ブルーグラス・フェスティバル
 ジュニア部門 バンジョー2位、フィドル3位、ギター1位:総合優勝

<1974年>
ワシントン州ベルビュー コンテスト
 1位

ワシントン州フォークロア・ソサエティ
 フィドル部門1位

アイダホ州ワイザー ナショナル・オールドタイム・フィドラーズ・コンテスト
 ジュニア部門1位、ジュニア・ジュニア部門1位

オクラホマ州 バイロン・バーライン・フェス
 1位

コロラド州 コンテスト
 25歳以下部門 1位

テネシー州メンフィス
 ギター2位 フィドル3位

カンサス州 ナショナル・ギター・フラットピッキング・コンテスト
 ギター2位 フィドル1位

カリフォルニア州 オールドタイム・フィドル・コンテスト
 1位

<1975年>
テネシー州ナッシュビル グランドマスター・フィドル・コンテスト
 1位

アイダホ州ワイザー ナショナル・オールドタイム・フィドラーズ・コンテスト
 ジュニア部門1位

カンサス州 ナショナル・ギター・フラットピッキング・コンテスト
 1位

 ……とまあこんな感じで楽器コンテストに出まくって、2年半の間に都合27回優勝したそうな。特筆すべきは、これがほぼ13歳~14歳にかけてのできごとだったことだ。こうして瞬く間に名前が知れ渡り、1974年には初のソロ・アルバム『NATIONAL JUNIOR FIDDLE CHAMPION』(Rounder)も出している。

 ちなみにワイザーのフィドル・コンテストは厳格なカテゴリー分けがあり、18歳以下はシニア部門へのエントリーが認められないためジュニア部門での優勝にとどまったものの、晴れて年齢制限が解けた1979年以降は3年連続でナショナル・グランド・チャンピオンを獲得。84年にも同タイトルを獲得している。


 ワイザーのコンテストの録音は、『THE CHAMPIONSHIP YEARS  1975-1984』(CMF 1990)というアルバムにまとめられているが、YouTubeでは見当たらなかったので、代わりに1975年のテレビ・ショーの映像を。タイトルでは「13歳」となっているが、実際には14歳のはずだ。
Championship Years 1975-84
O'Connor, Mark
Country Music Found.
1994-08-23

 こちらは同アルバムを元にした楽譜集。
Mark O'Connor - The Championship Years 1975-1984 (English Edition)
O'Connor, Mark
Mel Bay Publication, Inc.
2019-02-24

 ほぼ同時期のギター・コンテストの音源は見つかったので、そちらも貼りつけておく。

 曲は「Dixie Breakdown」かな? セカンド・アルバム『PICKIN' IN THE WIND』(Rounder 1976)にも同様の音源が収められていたような気もするけれど、同じものかどうかは未確認(あとで確認しておきます^^;)。
Pickin' In The Wind
New Rounder
2016-08-12

 ジョン・ハートフォード、ノーマン・ブレイク、サム・ブッシュ、チャーリー・コリンズ、ロイ・ハスキーのサポートを受けたこのアルバム、オリジナルのジャケットには「1975 Grand Master Fiddle Champion  1975 National Guitar Champion」というシールが麗々しく貼られていたっけ。
MarkOconnor
 1979年頃には、デビッド・グリスマン・クインテットにギタリストとして加入する。それまでにもセッションは数多くこなしていたものの、メジャーなバンドのメンバーとなったのは、これが初めての経験と言っていい(ちゅーても、まだ10代ですからね^^;)。

 この映像は1989年となっているけれど、DGQ時代からレパートリーにしていたと思われる「Albuquerque Turkey」。グリスマンの曲で、グリスマンのソロ・アルバム『MONDO MANDO』(Warner Bros. 1981)でもフィドル(バイオリンではなく)でクレジットされている。
Mondo Mando
Rhino/Warner Bros.
2011-04-26

 その後、ロック・バンドのディキシー・ドレッグス(後にドレッグスと改名)を経て、再びソロ・ワークに。ナッシュビルのセッションマンとして活躍するかたわら、ナッシュビル・ネットワーク(TNN)のテレビ番組「アメリカン・ミュージック・ショップ」では、ハウスバンドのリーダーも務めた。


 多彩なゲストが出演する番組だけに、そのバックバンドを仕切るにはそうとうの力量が求められたと思われる。

Appalachia Waltz ((Remastered))
Sony Classical
2016-04-26

 ヨーヨー・マらとのセッション『Appalachia Waltz 』(Sony Classical 1996)以降は、クラシックのバイオリンに専念していた時期も長かったようだけれど、近年はファミリー・バンドを組んだりもしてまたルーツ系の音楽に戻ってきた観があり、少しほっとした^^;

Coming Home
Mark O'Connor
Rounder / Umgd
2016-08-05

 アルバムごとに音楽ジャンルはおろか、メイン楽器まで変えてしまうような才人だけに、マーク・オコーナーをひとことで語るのはなかなか難しいのだけれど、その原点はテキサス・フィドルであるような気がしている。最後に師匠にあたるベニー・トマソンらとのセッションで、「Sally Johnson」を。

Heroes
O'Connor, Mark
Warner Bros / Wea
1993-09-08


※『カントリー&ウエスタン』誌Vol.82(1977)の中田伏雄さんのコラム「ブルーグラス今昔」を参考にさせていただきました。

 3月11日(木)午後8時より、JFN制作のFMラジオ「A・O・R」でマーク・オコーナー特集が放送されます。

 何を弾かせても達人級のマルチ弦楽器プレイヤーであるマーク・オコーナーですが、今回はフィドル/バイオリンに絞った内容にする予定。楽器コンテストで大活躍した少年時代から始まって、DGQ時代、ナッシュビルのセッションマン時代など……これまでの歩みをあらためてふり返ります。

 そんなわけで予告編の映像は、1996年のアトランタ・オリンピック閉会式でのマーク・オコーナーのパフォーマンス。4分40秒くらいからどうぞ(メッセージが表示されたら「YouTubeで見る」をクリックしてください)。

 以前の麻田浩さんによるインタビュー(ジューンアップル誌1979年1・2月合併号)では、「ロサンゼルス生まれ」と答えていたのに、Wikipediaを見ると「ビバリーヒルズ生まれ(そしてロサンゼルス育ち)」となっている。ではオフィシャルのサイトは、と確認すると「ロサンゼルスで育った」とだけ書かれていた。まあ、ロサンゼルス市もビバリーヒルズ市も大きく見ればロサンゼルスには違いないので、たいした問題ではないのかもしれない。もしかしたらセレブなイメージを嫌っているのかとも思ったけれど、そこまで立ち入るのも野暮な気がする。
RichardGreene
 1942年11月9日生まれのリチャード・グリーンは、5歳のときにバイオリンを習い始めた。オールドタイムやブルーグラスのフィドルではなく、れっきとしたクラシックのバイオリンである。道を踏み外した(?)のは高校生のときで、どうやらスコッティ・ストーンマンのフィドルを聴いたのがいけなかったようだ。

 スコッティ・ストーンマンはオールドタイムの名門、ストーンマン・ファミリーの出身で、エンターテイナーとしての才能に恵まれていた。豪快なトーン、奔放なボウイング、自在なアドリブ……。それまで学んできたクラシックのバイオリンとは、まったく異なる世界がそこにはあった。

 たとえば「Eighth of January」をストーンマンが弾くと、こうなる。

ライヴ・イン L.A.
スコッティ・ストーンマンwithケンタッキー・カーネルズ
ミュージック・シーン
2008-10-25

 ストーンマンのプレイに衝撃を受けたリチャード・グリーンは、あっさりとクラシック・バイオリンを捨てて、オールドタイム・フィドルへと転向する。カリフォルニア大学バークレー校に進学してからは、本格的にオールドタイム系のバンドを始めた。トパンガ・キャニオン・バンジョー・フィドル・コンテストでデビッド・リンドレーやクリス・ダーローたちと知り合い、ドライ・シティ・スキャット・バンドに誘われたのもこの頃だ。

 ブルーグラスを弾くようになったのは62年頃からで、デビッド・グリスマンとの出会いをきっかけに、グリーン・ブライアー・ボーイズやレッド・アレンとも関わり、66年にはついにビル・モンロー&ブルーグラス・ボーイズに加入することになる。このときのメンバーは、リチャード・グリーンのほか、ピーター・ローワン(ギター)、ラマー・グリア(バンジョー)、ジェームズ・モンロー(ベース)という、一世代若返ったフレッシュな顔ぶれだった。


 ブルーグラス・ボーイズに1年在籍したあとは、ジム・クェスキン・ジャグ・バンドに移った。当時のフォーク・シーンの人気グループである。広く名前が知られるようになったのはこのときだろう。

ガーデン・オブ・ジョイ
ジム・クウェスキン・ジャグ・バンド
ワーナーミュージック・ジャパン
2013-04-10

 ジム・クェスキン・ジャグ・バンドの解散でフリーになったリチャード・グリーンは、エレクトリック・バイオリンに持ち替えて、ロック・バンドに関わるようになる。ブルース・プロジェクトを経て、シー・トレインへ。この当時、さまざまなエフェクタを駆使した過激なサウンドを志向していたバイオリニストは、この人とジャン・リュック・ポンティくらいだったのではないか?

 1971年コペンハーゲンのシー・トレインのライブより「Sally Goodin」。中盤以降で、ワウ・ペダルを使った十八番のプレイが聴ける。


 ロック・シーンで成功したことは、その後のキャリアを考えると大きかっただろう。まずセッションワークのオファーが続々とやってきた。70年代のシンガーソングライターやウェストコースト・サウンドのフィドルと言えば、リチャード・グリーンかバイロン・バーラインでほぼ決まり、という状況だった。オクラホマ出身のバイロン・バーラインは、ゴリゴリのテキサス・フィドル・スタイル。一方リチャード・グリーンは、クラシック・バイオリン、ロック・バイオリン、ブルーグラスと何でもこなせたから、重宝されたはずだ。
マッド・スライド・スリム
ジェームス・テイラー
Warner Music Japan =music=
2008-05-28

 75年~76年はロギンス&メッシーナに誘われ、スタジオにツアーにと活躍した。この映像では姿はまったく映っていないけれど^^;バイオリンはリチャード・グリーンのはずだ。


 セッションワークのかたわら、1973年にはミュールスキナーでブルーグラスにも復帰している。ミュールスキナーはテレビショーの企画から生まれたユニットで、ロックの洗礼を受けたミュージシャンたちが、ふたたびブルーグラスに回帰するきっかけになったという点で注目に値する。

A Potpourri of Bluegrass..
Muleskinner
Sierra
1994-05-19

 70年代後半以降のリチャード・グリーンは、またアコースティックな音楽に戻った印象だ。ソロ・アルバムもコンスタントに出してきた。最近はさすがに若い頃のような勢いはなくなった気がしないでもないけれど、2015年のジム・クェスキン・ジャグ・バンドのリユニオン・ツアーで、久々に元気なステージを目の当たりにできたのはなによりだった。

The Greene Fiddler
Sierra Records
2020-02-10

 そんなこんなで、11月5日(木)に放送されたFMラジオ「A・O・R」のリチャード・グリーン特集に絡めて、リチャード・グリーンの音楽キャリアをまとめてみた。端正なトーンながら、トリッキーでかっとんだプレイも得意なグリーンは、日本でもずいぶん人気があったものだ。

 参考までに当日のオンエアリストは以下のとおりです。

  20:02 Ramblin’ / Richard Greene
  20:06 I’ll Be There / Peter Rowan & The Rowan Brothers
  20:08 Mar West / Tony Rice Unit
  20:10 Dusty Miller / Bill Monroe & His Bluegrass Boys
  20:19 If You’re A Viper / Jim Kweskin Jug Band
  20:20 Riding On A Railroad / James Taylor
  20:23 Walkin’ One & Only / Maria Muldaur
  20:28 Peacemaker / Loggins & Messina
  20:30 Orange Blossom Special / Muleskinner
  20:39 Lady Of The North / Gene Clark
  20:46 Northern White Clouds / The Grass Is Greener

 11月5日(木)午後8時より、JFNのFMラジオ番組「A・O・R」でリチャード・グリーン特集の放送があります。フィドル・ファンの皆様はもちろん、ウェストコースト・ロックや70年代のシンガー・ソングライターのファンの方にもお薦めです。

 予告編ということで、リチャード・グリーンのソロ・アルバムから「Ramblin'」をどうぞ。


 よろしければこちらの日記もご覧くださいませ。

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