ウィリアム・フロイド・コリンズは、アメリカの有名な洞窟探検家だったそうだ。私は寡聞にして、「The Death Of Floyd Collins」というバラッドを聴くまで、その存在をまったく知らないでいた。
Floyd Collins
 20世紀初頭にケンタッキーで高まった洞窟観光ブームに乗ったフロイド・コリンズは、自身が発見した洞窟をクリスタル・ケイブと名付け、1917年から有料で公開していた。ところが、さらに有望な商品を開拓すべく新たな洞窟の整備を進める中で、あやまって地下17mの狭い通路に閉じ込められてしまう。これが1925年1月30日のことで、すぐに救援活動が始まったものの作業は困難を極めた。その模様は全国紙で報道されたばかりでなく、新しく普及し始めたラジオでも逐一放送されたという。

 こうして、それまで無名だったコリンズの名前は一気に全米に広まった。これで生還すれば事業の宣伝にもなってめでたしめでたしだったのだろうが、懸命の救援活動もむなしく、2月13日にコリンズは死亡。救助隊がその遺体にたどり着くまでには2ヵ月を要した。

 「The Death Of Floyd Collins」はこのできごとを元にしたバラッドで、その年のうちに早くもレコードとなって発売されている。作者はアンドリュー・ジェンキンス。生涯で800を超える曲を残したとされる著名な職業作曲家だ。その処女作が「The Death Of Floyd Collins」だったという。45分で書き上げたという話が伝わっているから、「ネタがホットなうちに発売して儲けよう」というレコード会社の思惑の下に、急遽作られた歌と言えそうだ。

 ジェンキンスに作曲を依頼したのはオーケー・レコードで、おそらくフィドリン・ジョン・カーソンのレコーディングに間に合わせるように作らせたのではないかと思う。「どっかに空いている作曲家はおらんのか?」「あの、私、書きたいかも(おずおず)」みたいなやりとりがあったやもしれぬ。

 カーソンのレコーディングは、ジョージ州アトランタで、25年4月14日もしくは15日に行なわれたとされる。コリンズの死去のほぼ2ヵ月後のことだ。まだ遺体が発見されたかどうかという時期ではないか……。

Fiddlin John Carson Vol. 2 1924 - 1925
Document Records
1997-01-01

 ジョン・カーソンのパフォーマンス自体はさすがのひとことだけれど、オーケーの思惑どおりのセールスとはいかなかった。ここで登場してくるのが、またもバーノン・ダルハートである。ダルハートのビクター盤も同じ年のうちに発売され、こちらは30万枚を超えるヒットとなった。大衆はカーソンのオールドタイミーな歌いまわしよりも、耳当たりの良いダルハートの美声のほうを好んだようだ。前年に発売された「Wreck Of The Old 97」に続いて……。

 ダルハートはアレンジの異なる2つの録音を残している。1つは25年の録音、もう1つはおそらく26年。ギターとハーモニカとバイオリン(フィドルとは言い難い)が入ったこのバージョンは26年版で、あわてて録った(?)前年のレコードよりもよいできではないかと思う。

1981-Country Music Hall of Fame
Dalhart, Vernon
King
1999-11-16

 「おいでみなさん聴いとくれ……」で始まる歌詞は、よくあるバラッドのスタイルを踏襲している。

His face was fair and handsome, his heart was true and brave
His body now lies sleeping in a lonely sandstone cave

気高く美しい顔、純粋で勇敢な心
身体は寂しい砂と岩の洞窟で眠っている

--というくだりなどは、ややほめ殺しの感があるし、そのあとで両親を引っ張り出してくるのも過剰な演出という気がしないではない。とはいえ、時間経過にそって事実をきっちりとまとめている点は認めなくてはなるまい。

 ここで紹介した音源には含まれていないけれど、以下のような興味深いスタンザも存在するようだ。

Oh, how the news did travel! Oh, how the news did go
It traveled through the papers and over the radio
A rescue party gathered, his life they tried to save
But his body now lies sleeping in a lonely sandstone cave

ああ、その知らせはどのようにして伝わったのか
ああ、その知らせはどのようにして広まったのか
新聞を通じ ラジオに乗って広まった
救助隊はつどい 男の命を救おうとした
しかしその身体は寂しい砂と岩の洞窟で眠っている

 フロイド・コリンズの最期は、メキシコの洞窟で行方不明になったと言われる作家のアンブローズ・ビアスを思わせるところもある。とはいえ、ビアスの時代にはまだラジオはなく、救助の様子が逐一報道されることもなかった。それもあってか、ビアスのバラッドはまだ聴いたことがない。

 一世を風靡したわりには、この曲のカバーはそれほど多くない。数少ない例に、ジョン・プラインとマック・ワイズマンの共演盤がある。

Standard Songs for Average People
John Prine & Mac Wiseman
Oh Boy
2007-04-24