アメリカン・ルーツ・ミュージック再訪

2021年02月

 前回の話でご紹介したように、ギブソンに代表されるアメリカン・スタイルのマンドラは、マンドリンの5度下の楽器である。ところが、ヨーロッパや日本でよく使われているボウル・バック(背中の丸い)タイプ(ナポリ・スタイル)のマンドラは、マンドリンのオクターブ下にチューニングされるのが一般的だという。

 アメリカン・スタイルでは、マンドリンのオクターブ下の楽器はオクターブ・マンドリンと呼ばれる。一方ナポリ・スタイルでは、マンドリンの5度下の楽器はテナー・マンドラと呼ばれるようだ。このあたりの事情はちょっぴりややこしいので、2つの楽器を混同しないように注意する必要がある。

 ギブソンのマンドラは、ティアドロップ・タイプのH、H-1、H-2の3モデルでスタートし、1912年にスクロール・タイプのH-4が追加された。H-4のデザインのスペックは、マンドリンのF-4と同等だ。このF-4、H-4に、マンドセロのK-4を加えた3つのモデルはアーティスト・シリーズと総称されるギブソンのフラグシップ・モデルだった。
H4top
 1915年製のH-4。注意して見ないとF-4と混同しかねないような外観だ。
H4topL
 念のためにボディをクローズアップしてみよう。トップの塗装は、レッドマホガニー・サンバーストと呼ばれる。セルロイド製だと思われるピックガードは、経年変化で劣化してしまったため取り外してある。
H4wg
 こちらはピックーガードが付いていた頃の姿。ピックガードのブリッジ側がとがっているのは、1917年以前の仕様だ。1917年にはこの角の部分がカットされて丸みをおびたシェープに変わる。
F4H4
 F-4と並べてみると、サイズの違いは一目瞭然。トップの塗装の違いにも注目してほしい。F-4は色の濃いダークマホガニー・サンバーストになっている。レッドマホガニー・サンバーストからダークマホガニー・サンバーストへの移行は1918年とされる。
H4tailpeice
 H-4のテールピース・カバー。上部の装飾部分も刻印された古いタイプのデザインだ。
H4head
 ペグヘッドの装飾もF-4と同等。ダブルフラワーポットのインレイが美しい。
H4tuner
 チューニング・ペグのノブに見られる装飾は上位モデルの証し。
H4backL
 バックのフレイム・メイプルは、センター合わせのブックマッチ(左右対称)ではなくて、1枚板になっている。クランプが取り付けられていた部分には、塗装の剥がれが。

 マンドラはマンドリンの5度下ということで、音域の差はあまりない。サウンド的にも地味めな印象で、代表的な演奏例もあまり思いつかない。個人的には、意外とオープン・ポジションでコードを鳴らしながら歌の伴奏をするのに向いた楽器ではないかという気がしている。マンドリンよりもコードの響きが豊かなので。

 --というところで、以下は演奏例。


Guitars: Past and Present
Seguret, Christian
Loft Publications
2018-11-12

 まずはマルチ・プレイヤーのChristian Séguret(クリスチャン・セグレ)が弾く1918年製のH-4。フランス語なので何を言っているのかよくわからないのがナニだけれど^^;ブルース・スタイルの演奏がなかなか面白い。1918年製ということで、すでにトップのフィニッシュはダークマホガニー・サンバーストに変わっている。


 続いては、1927年製のH-4のデモ演奏。ペグヘッドにトラスロッド・カバーが付いた関係で、フラワーポットのインレイはシングル・タイプに変更されている。


25 Trips
Sierra Hull
Concord
2020-02-28

 こちらはギブソンではないけれど、シエラ・ハルによるギルクリストのH-4コピーのデモ演奏。これもブルージーな演奏なのは、たまたまだろうか? ともあれ、マンドラのキャラクターがよくわかる素晴らしいサウンドの楽器だと思う。

 まったくの余談だけれど、今回紹介したH-4は、そのギルクリストがセットアップしたものだったそうな。楽器屋さんとメールのやり取りをした際に、その点をやけに強調されたのを覚えている。ギルクリストのH-5コピーは、デビッド・グリスマンさんのワークショップに参加したときに触らせてもらってるんだよな~。

 このあたりであらためて、アメリカン・スタイル……というか、ギブソン製のマンドリン属の楽器の体系を整理しておきたい。

 ギブソン・マンドリン-ギター・マニュファクチュアリングが創設された1902年には、マンドリン属の楽器として、マンドリン、マンドラ、マンドセロの3種類があった。

 マンドリンは、いちばん小型のサイズで、チューニングは低い弦からGDAE(ソレラミ)。マンドラはやや大きなサイズで、チューニングは5度下のCGDA(ドソレラ)。マンドセロはさらに大きく、チューニングはマンドラのオクターブ下のCGDA。各楽器のサイズおよびチューニングは、バイオリン属のバイオリン、ビオラ、チェロにそれぞれ対応している(語源から考えると、おそらくマンドリンは「小型のマンドラ」、バイオリンは「小型のビオラ」という意味ではないか?)。

 1902年当時のマンドリンのラインアップは、ティアドロップ・タイプのA、A-1、A-2、A-3、A-4と、スクロールタイプのF、F-2、F-3、F-4の計9モデル(ただしFとF-3はすぐにラインアップから消えた)。

 マンドラは、H、H-1、H-2の3モデル。

 マンドセロはK、K-1、K-2の3モデル。

 マンドラ、マンドセロはすべてティアドロップ・タイプのモデルで、まだスクロール・タイプのモデルは製作されていなかった。デザインのグレードで比較すると、H、KはA相当。H-1、K-1はA-2相当。H-2、K-2はA-4相当の楽器と言える。

 ラインアップが大きく拡充したのは1912年で、このときにマンドラやマンドセロにもスクロールの付いたH-4、K-4が追加された。また、より低音域のマンドベース(モデル名はJ)も新たに加わった。
mandofamily1M
 アメリカン・スタイルのマンドリン属の楽器たち。左から順に、マンドリン(A-4)、マンドリン(F-4)、マンドラ(H-4)、マンドセロ(ケンタッキー製K-4コピー)、アーチトップ・ギター(L-3)。マンドセロがほぼギターと同等のサイズであることがわかる。
mandobassM
 参考までに、ギブソンのカタログからマンドベースの写真も拝借してきた。フレットの付いたウッドベース(コントラバス)のような楽器と捉えていただければいいと思う。アームレストが付いている点に注目。ピックで弾くことを前提に開発された楽器のようだが、ウッドベースのように指弾きしたほうがラクなような気がしないでもない。

 こちらはギブソンのマンドベースではないけれど、ヒラリー・ジェームズさんのプレイ。ピックは使っていない。フレットがあるぶん、和音は弾きやすいかも。

 というところで、次回以降は個々のモデルについて見ていきたい。

 

 テレテレと続けていたアメリカ産バラッドの雑文も、「John Henry」でひとまず打ち止め……のつもりでいたのだが、話の流れで「Take This Hammer」にも言及しておいたほうがいいような気がしてきた。

 「Take This Hammer」は、トピカルなブロードサイド・バラッドというよりは、ワークソングに分類されるような歌だ。この歌と「John Henry」とを結ぶ重要なキーワードは、ズバリ「ハンマー」である(「Nine Pound Hammer」もそうだ)。1915年に公表された「Take This Hammer」の古い歌詞には、以下のような一節があったという。

This old hammer killed John Henry
But it can't kill me
Take this hammer, take it to the Captain
Tell him I'm gone, babe, tell him I'm gone

この古いハンマーはジョン・ヘンリーを殺したけれど
おいらは殺されやしない
このハンマーを親方に手渡して
おいらが行っちまったって伝えてくんな 坊や おいらが行っちまったって

 このくだりが「John Henry」のバラッドを下敷きにしていることは明らかだろう。

 この歌の主人公も、ジョン・ヘンリーと同じようにハンマーをふるうことを生業とする肉体労働者だ。すでに奴隷制が廃止されていたとはいえ、南部の黒人労働者の境遇はそれほど変わっていなかった。現代の人材派遣会社のようなシステムによって、貧しい黒人たちは鉱山での採掘、鉄道の敷設、テレピン油の採集などの作業に巡回労働者として貸し出されたという。レイルロード・ビルがテレピン油の仕事で各地を転々とした背景にも、こうした事情があったと思われる。

 ここでよく知られているレッドベリーのバージョンを聴いてみよう。

Where Did You Sleep Last Night: Lead Belly Legacy, Vol. 1
Smithsonian Folkways Recordings
1996-02-20

 レッドベリーの歌で印象的なのは、一節歌うごとに入る「ホワッ!」という合いの手だ。やや唐突にも聞こえるこの掛け声は、ハンマーをふり下ろす合図になっているのだという。現場の作業では、ソロの歌ではなくて全員がユニゾンで歌いながらハンマーをふるうタイミングを合わせるわけだ。いかにもワークソング的な作法と言える。アリゾナの刑務所に服役していた経験のあるレッドベリーは、実際に農場の労役でこの歌も歌っていたのだろう。

Take this hammer, carry it to the captain
Take this hammer, carry it to the captain
Take this hammer, carry it to the captain
Tell him I'm gone
Tell him I'm gone

If he asks you was I runnin'
If he asks you was I runnin'
If he asks you was I runnin'
Tell him I was flyin'
Tell him I was flyin'

If he asks you was I laughin'
If he asks you was I laughin'
If he asks you was I laughin'
Tell him I was cryin'
Tell him I was cryin'

I don't want no cornbread and molasses
I don't want no cornbread and molasses
I don't want no cornbread and molasses
If I had my pride
If I had my pride

このハンマーを親方に手渡して
このハンマーを親方に手渡して
このハンマーを親方に手渡して
おいらが行っちまったって伝えておくれ
おいらが行っちまったって伝えておくれ

走ってたかって聴かれたら
走ってたかって聴かれたら
走ってたかって聴かれたら
飛んでいったって答えておくれ
飛んでいったって答えておくれ

笑ってたかって聴かれたら
笑ってたかって聴かれたら
笑ってたかって聴かれたら
泣きまくってたって答えておくれ
泣きまくってたって答えておくれ

糖蜜のコーンブレッドなんかいらねえよ
糖蜜のコーンブレッドなんかいらねえよ
糖蜜のコーンブレッドなんかいらねえよ
おいらにもプライドってもんがあるんだ
おいらにもプライドってもんがあるんだ

 くり返しの多い単純な歌詞で、ジョン・ヘンリーへの言及はなくなっている。厳しい肉体労働からの解放が、この歌の主題と言っていい。それは現実ではなくて、あくまでも願望にすぎないけれど。労働からの解放を歌いながら労働に従事するというメタフィクション的な構造が何とも言えない。シンプルながら美しい歌詞だと思う。

 最後のスタンザでは、いきなり現実に戻って提供される食事への不満が語られる。「molasses」は砂糖を生成するときに生まれる副産物で、甘味料として使われていたこともあるそうだ。日本では「廃糖蜜」「糖蜜」と呼ばれる。砂糖から作るシロップよりもランクの落ちる甘味料であることは明らかだ。

 コーンブレッドは「とうもろこしパン」のことで、個人的には好物なのだが、おそらくレッドベリーが食べさせられていたのは、ずっと粗末なものだったのだろう。もっとまともな食事にありつきたいというリアルな思いが伝わってくる。

 この歌もコモンストックで、白人の演奏例もたいへん多い。ブルーグラスの定番曲でもある。オズボーン・ブラザーズのバージョンで聴いてみよう。


 毛色の変わったところでは、スペンサー・デイビス・グループもこの歌を取り上げている。タイトルは「This Hammer」。ピュアなロックンロール・アレンジだ。クレジットではメンバーの共作になっているようだが……。

セカンド・アルバム+8(紙ジャケット仕様)
スペンサー・デイヴィス・グループ
ユニバーサル ミュージック
2016-10-26

 こちらはハリー・マンクスの2003年のパフォーマンス。

Road Ragas-Harry Manx Live
Manx, Harry
Dog My Cat Records
2005-05-24

 このほかにも、デルモア・ブラザーズ、フラット&スクラッグス、ブラザーズ・フォー、ジョニー・キャッシュ、キャット・スティーブンスなど、白人ミュージシャンの演奏例が多いのは、曲の内容を考えると注目に値する。

 そんなこんなで、ブロードサイド・バラッドの話はこれで一段落。ワークソングやプリズン・ソングについては、そのうちにまた取り上げたいと思っている。

 もうずいぶん前のことになるが、競馬のジャパンカップに出走するためにアメリカから「ジョン・ヘンリー」という名前の馬がやってきたことがあった。テレビの解説を担当していた大川慶次郎さんが「イギリス貴族のような素晴らしい名前」と絶賛するのを聴いて、「なるほど、そう言われてみれば!」と納得したのを覚えている。

 このブログに来られるような方なら、ジョン・ヘンリーと聞けば、英国貴族などではなくてアメリカの伝説的な黒人ヒーローを思い浮かべることだろう。人力で蒸気ドリルと競争をして勝利したというエピソードも競争馬にぴったりだし、この偉丈夫にちなんでつけられた名前だったのは間違いあるまい。
JohnHenry
 ウェストバージニア州サマーズ・カウンティの州道12号線沿いに設置されているジョン・ヘンリーの像

 この国民的英雄を歌ったバラッドが、ご存知「John Henry」。白人黒人を問わずよく歌われる典型的なコモンストックの1曲だ。ブルーグラスでも、ビル・モンローをはじめとする多くのバンドがレパートリーに入れている。
Live At Mechanics Hall
Acoustic Disc
2004-10-05

 ジョン・ヘンリーの伝説は、19世紀に実在した黒人労働者のエピソードが元になっているとも言われるが、その実態はよくわかっていない。モデルとなった人物も諸説あるようだ。それでもウェストバージニア州には「ジョン・ヘンリーと蒸気ドリルの対決の地」として銅像が立っていたりする。

 ビル・モンローのバージョンは省略されすぎていて、ストーリーがよくわからないため、もっと長いバージョンから抜粋してみよう。

John Henry was about three days old
Sittin' on his papa's knee
He picked up a hammer and a little piece of steel
Said, 'Hammer's gonna be the death of me, Lord, Lord
Hammer's gonna be the death of me'

The captain said to John Henry
'Gonna bring that steam drill 'round
Gonna bring that steam drill out on the job
Gonna whop that steel on down. Down Down
Whop that steel on down'

John Henry told his captain
'A man ain't nothin' but a man
But before I let your steam drill beat me down
I'd die with a hammer in my hand. Lord, Lord
I'd die with a hammer in my hand'

John Henry said to his shaker
'Shaker, why don't you sing?
I'm throwin' thirty pounds from my hips on down
Just listen to that cold steel ring. Lord, Lord
Listen to that cold steel ring'

The man that invented the stream drill
Thought he was mighty fine
But John Henry made fifteen feet
The steam drill only made nine. Lord, Lord
The steam drill only made nine

John Henry hammered in the mountain
His hammer was striking fire
But he worked so hard, he broke his poor heart
He laid down his hammer and he died. Lord, Lord
He laid down his hammer and he died

 参考までの拙訳。

生まれたばかりのジョン・ヘンリーは
父さんの膝の上に座ってた
小さな鉄の塊を付けた ハンマーをつかんで言うことにゃ
こいつがおいらの命取り ああ神さま
こいつがおいらの命取り

親方はジョン・ヘンリーに言った
蒸気ドリルを導入したい
蒸気ドリルを使いたい
そいつでガンガン掘りまくりたい
そいつで掘りまくるんだ

ジョン・ヘンリーは親方に言った
人は人以上の者にはなれない
でも蒸気ドリルに打ち負かされるくらいなら
ハンマーを手にしたまま死にたいね ああ神さま
ハンマーを手にしたまま死にたいね

ジョン・ヘンリーは相棒に言った
歌っておくれよ
おいらは30ポンドのハンマーをふるい続ける
冷たい鋼の音をひたすら聴きながら ああ神さま
冷たい鋼の音を聴きながら

蒸気ドリルを発明した男は
やけにいい調子だと思った
けれどジョン・ヘンリーは15フィート掘り進み
蒸気ドリルは9フィートしか掘れなかった ああ神さま
蒸気ドリルは9フィートしか掘れなかった

ジョン・ヘンリーは岩山にハンマーを打ち込んだ
ハンマーは火花を散らした
けれどあまりに頑張りすぎたため か弱い心臓がいかれた
あいつはハンマーを手放して死んだ ああ神さま
あいつはハンマーを手放して死んだ

 ここで言い訳をしておくと、ジョン・ヘンリーは鉄道線路の犬釘打ち(スパイク・ドライバー)だったとする伝承と、トンネル掘りだったとする伝承とがある。前者の説を取れば「15フィート掘り進み」ではなくて「15フィートの線路を敷き」くらいにすべきなのだろうが、蒸気ドリルとの競争の場面を考えると後者のほうがしっくりくる気がしたので、トンネル掘り説でいかせてもらった。「山にハンマーを打ち込んだ」というくだりもトンネル掘りっぽいし。

 ともあれ、当時の最新テクノロジーだった蒸気ドリルに戦いを挑み、見事勝利を収めたものの無理がたたって息絶えた--というストーリーは、多くの伝承に共通するものだ(実は上記の歌詞のあとに、「ジョン・ヘンリーは病みついて、代わりに小柄な奥さんが男のようにハンマーをふるった」という矛盾するスタンザが続いている。一部には生存したという伝承もあるようだ)。

 ジョン・ヘンリーの伝説が切ないのは、時代の流れにあらがい、一時は勝利したかのように見えても、後の歴史がその勝利が意味のないものであったことを証明しているからだろう。それでも(あるいはそれだからこそ?)ジョン・ヘンリーの行為を称える人たちは多い。そしてジョン・ヘンリーのバラッドもいまでも歌い継がれている。

 このバラッドを最初に録音したのは、オールドタイムのプレイヤーで史上初のレコーディングをしたとされるフィドリン・ジョン・カーソンだ。曲のタイトルは「John Henry Blues」カーソンの歌はイングランドのバラッド・シンガーもかくやと思わせる名調子で、うっとりさせられる。ノイズの多いコンディションの良くない音源ではあるけれど、じっくり聴いてほしい。

Fiddlin John Carson Vol. 1 1923 - 1924
Document Records
1997-01-01

 ジョン・ヘンリーは黒人の英雄だけに、黒人のパフォーマンスの例も多い。おなじみのミシシッピー・ジョン・ハートは「Spike driver blues」のタイトルで歌っている。釘打ち説を取っているわけだ。

The Complete Studio Recordings
Hurt, 'Mississippi' John
Vanguard
2001-02-26

 同じミシシッピーでもミシシッピー・フレッド・マクドウェルになると、ボトルネック・ギターを決めて、かなり黒っぽい音になってくる。

The Best of Mississippi Fred Mcdowell
Blues Country Records
2018-11-02

 カリプソのハリー・ベラフォンテも「John Henry」を歌っている。そういえば、フォーク・リバイバルの先駆者的な人でもあったのだった。

Harry Belafonte - Carnegie Hall Live Special
Don\'t Forget Harry Belafonte Productions
2016-09-23

 ジェリー・ガルシア・アコースティック・バンドの「Spike Driver Blues」は、メロディはたしかに「John Henry」なのだが、歌詞は「Take This Hammer」という……。途中でちょこっと「John Henry」の歌詞が挟まり、そのままいくかと思いきや、また「Take This Hammer」に戻る^^; どちらもハンマーをふるう労働者の歌ではあるので、親和性は高そうだ。この「Take This Hammer」や「Nine Pound Hammer」と、「John Henry」との関係性を指摘する人もいる。

Almost Acoustic
Garcia, Jerry Acoustic Band
Rhino
2010-11-16

 シド・ヘンフィルの「John Henry」は、メロディも歌詞もこれまで紹介したものとは異なる別バージョンだ。ヘンフィルは黒人ではあるが、フィドル、バンジョー、ギターなどによる演奏は、白人系のオールドタイムに近い。アラン・ロマックスによるフィールド録音。1942年8月15日にミシシッピー州スレッジ近郊にて。

Black Appalachia: String Bands, Songsters And Hoedowns
Various Artists
Rounder Select
1999-03-09

 タングル・アイの「John Henry's Blues」(2004年)は、制作の事情がやや複雑で、ベースとなっているのは、アラン・ロマックスが1959年9月にミシシッピー州の刑務所でフィールド録音したエド・ルイスのパフォーマンス。これをサンプリングして、キーボード、ベース、バンジョーなどを新たにダビングしたリミックス・バージョンだ(ちなみにバンジョーはトニー・トリシュカ)。元となるエド・ルイスの歌は、自らのふるう斧の音だけを伴奏にしたアカペラで、定番の「John Henry」とは少し印象が異なる。


 オリジナルのエド・ルイスのパフォーマンスは、『SOUTHERN JOURNEY Vol.5』で聴ける。

 ところで日本のフォーク・ミュージシャンでは古川豪さんが、ジョン・ヘンリーの物語を1970年代の日本に翻案した「ジョン・ヘンリーの末裔」という歌を作っている。コミカルな歌ではあるけれど、案外ジョン・ヘンリーの物語の本質を突いているかも。

原子力時代の昔語り
古川豪
インディーズ・メーカー
2013-06-26


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