ジョン・ウォーカー・リンドは、ワシントンDCで生まれたアイルランド系のアメリカ人だった。16歳でイスラム教に改宗し、その後イエメンで暮らすようになる。そして20歳のときにアフガニスタンに渡ってタリバンの兵士となった。9.11同時多発テロの後に決行された米軍のアフガニスタン侵攻作戦の際に捕らえられたリンドは、本国に連れ戻されて裁判にかけられた。

 米国人の青年がタリバンのために戦い、捕らえられたという事件は、米国内ではかなりのインパクトがあったようで、さまざまなメディアで取り上げられることになる。スティーブ・アールの書いた「John Walker’s Blues」もそうした歌の1つで、リンドを擁護しているとして一部の愛国的な勢力から批判されたりもした。

エルサレム
スティーヴ・アール
ソニー・ミュージックジャパンインターナショナル
2002-10-23

 「John Walker’s Blues」は、ジョン・ウォーカー・リンドのモノローグの形式で書かれている。以下は参考までの拙訳。

僕はMTVを見て育った ありふれたアメリカン・ボーイ
ソーダ水の広告に出てくる少年たちもずっと見てきた
でもあの子たちはちっとも僕のようじゃなかった
だから僕は薄暗がりの向こうの光を探し始めた
そして初めて腑に落ちたのが
ムハンマドの言葉だった 彼に平安あれ

  A shadu la ilaha illa Allah
  アラーのほかに神はない

父さんがいまの僕を見れば 足の鎖に気づくだろう
父さんにはわからないんだ
人は信じるもののために戦わなければならないときがあることを
僕は神が偉大であると信じている すべての賛美は神のために
もし僕が死んだら 空に昇っていくはずだ
イエスと同じように 彼に平安あれ

  A shadu la ilaha illa Allah
  アラーのほかに神はない

僕たちはジハード(聖戦)のためにやってきた その心は純粋で強かった
死が空気を満たし 僕たちはみな祈りをささげた
殉教の日に備えて
ああ でもアラーの考えは違っていた その意図はよくわからないけれど
いまヤツらは僕を連れ戻した
頭に袋をかぶせて 異教徒たちの国へと

  A shadu la ilaha illa Allah
  A shadu la ilaha illa Allah


 9.11の翌年というアメリカがいちばん燃え上がっていた時期に、こんな歌を発表すれば物議を醸すことはわかりきっていたと思うのだが、スティーブ・アールは「ちょっと待て」と言わずにはいられなかったのだろう。これまでのアールの歩みをふり返ってみれば、その気持ちはよくわかる。

 歌詞はやや観念的というか、なぜリンドがタリバンに加わりアメリカと敵対することになったのかというやむにやまれぬ動機のようなものは、描き切れていないようにも思うのだが、「A shadu la ilaha illa Allah」というリフレイン一発で、すべて持っていかれてしまう。この歌の説得力はすごい。

 そんなこんなで、このブログの趣旨からはだいぶ遠ざかってしまったような気もするけれど、スティーブ・アールの話はひとまずこれでおしまい。以降はアメリカン・ルーツ・ミュージックの話をぼつぼつと続けていきたいと思う。今年もどうぞよろしくお願いします。